インターネットと私、ときどきオタク

30歳をゆうに超えた今、やらなければいけないことがある。

振り返ると私の生活のとなりには常にインターネットがあった。私が享受してきた情報の大半はインターネットから得ていたと思う。 エンターテイメントはもちろん、ちょっとしたTips、その日の晩御飯の献立までインターネットから得た様々な情報は生活に取り入れられた。

特別大きなイベントがあったわけでも、高尚な思想があるわけでもなく、単に思う。 インターネットに恩返しをしよう、と。

馴れ初め

初めは携帯電話だったと思う。J-PHONE から Vodafone に名前が変わった中学生ぐらいの時、携帯電話を買ってもらった。 Vodafone が開発した写メールはすでにかなり普及していて、携帯で撮影した画像をメールに添付するのは比較的当たり前に行われていたころだったと思う。

携帯電話は革命だった。それまでは友達と遊びの約束を取り付けるには、学校で直接話をするか友達の家に直接電話をかけるかのいずれかだった。 友達の家に電話をしてお父さんが出てなんとなく気まずくなることはなくなったし、気になるあの子とメールでいつでも話が出来た。

授業中に手紙を回す文化もずいぶん減った。当然学校への持ち込みは禁止だったが、隠れて持ち込み、メールでやり取りが行われていた。
とはいえ、持ち込みは非常にリスクが高かった。設定ミスで着信音が鳴ってしまったらあっという間に没収され親へ連絡がいく。携帯電話はまだ大人のためのもので、高校生になったら買ってもらえるというような人も多く、悪さをしたら「やっぱりまだ早かったね」と親からも没収されるものの代表格だった。

携帯電話の機種は覚えていないけどキャリアはKDDIだった。EZ Web を利用することでインターネット上のサイトに容易にアクセスすることができた。 ほぼ同時期ぐらいに父からお古のノートパソコンをもらった。携帯電話ではパケほ(パケット定額サービス、今でいうギガ無制限のようなもの)、家のネット回線では名前はわからないが使い放題のようなプランが存在していたので、暇さえあればインターネットの海に溺れた。 何をするでもなく、ひたすらに泳ぎ続けていたように思う。小学生の頃に自転車で隣町まで行くような、知らない場所へのちょっとした冒険といった感覚だった。

そうやって私にとってはごく自然にインターネットが身近になっていった。

BBS

BBSと言われてピンとくる人は今となっては多くないらしい。20代後半以上でインターネットとの親和性が高かった人が知っているもののようだ。
いわゆる掲示板で、現代のインターネットにおいてはほとんど見かけることはない。とはいえ、当時もBBSと言ったり掲示板と言ったり呼称はまちまちだった。

BBSの筆頭は2ちゃんねるだった。当時の2ちゃんねるはアングラのような雰囲気で数々の独自文化が形成されている最中であった。
中でも思い出深いのは「半年ROMってろ」だった。初心者はすぐに投稿したりせず、半年間ほど読むだけ(Read Only Member)に徹して文化やマナー、雰囲気や使い方を学べ、というものである。確かに2ちゃんねるには一見さんにはわからない謎ルールがたくさんある。「ぬるぽ」には「ガッ」であり、安価は絶対であり、fusianasan はトラップであった。そういったものを理解し、新たな初心者に対して手厳しく洗礼を浴びせることで2ちゃんねるの文化は守られていたのだと思う。
私はROM専になった。見てるだけで楽しかったのでそこに自分が加わる必要がなかった。腹筋スレには何度も釣られたし、バーボンハウスには通い詰めたけど。

とはいえ、個人サイトはどんどん増えていったしそれに準じて個人が管理する野良BBSも増えていった。初めてハンドルネームを作って同じゲームについて語りあったのはこのころだった。当時のインターネットはまだオタクのためのもので、オタクと言うと現実社会では冷たい目線を浴びるような時代だったので、大手を振って語り合えるのはインターネット上だけだった。
中学二年生の夏に友人から「個人が本を作って販売するイベントがあるが行ってみないか?」と誘われ、小説漫画を問わず本を読むことが好きだった私は二つ返事でOKして行った。コミケだった。ほとんど騙し討ちのように連れていかれたコミケだったが、親和性が高かったのかどっぷり浸かってしまった。

そんなオタクエリートだった私がインターネットに浸かるのは必然だった。

オタクが許容されてくる

高校生にもなるとクラスのほとんどが携帯電話を持っていた。
最初に衝撃を受けたのは入学式当日からすでにグループが形成されていたことだ。当時は前略プロフィールというサービスが流行っていて、そこで同じ高校に進学する人同士がすでに交流をしていたらしい。
早くから2ちゃんねるやら野良BBSやらのROM専をしていたものであり、インターネットの脅威を知るものであり、さらにはオタクからするとインターネット上に自身の情報を載せて交流することに激しい抵抗があったが陽キャはそういうのは気にしないらしい。

高校時代に印象に残っていることは二つある。
一つは、オタク文化の社会への露出が増えていったことだ。電車男、ノマ猫騒動、涼宮ハルヒの憂鬱らき☆すたといった京アニのアニメの爆発的人気、とアニメ、マンガ、ゲーム、はたまたネット文化といったアンダーグラウンドな文化の世間への浸透を肌で感じた。 コミケの参加人数は回を重ねるごとに増えていったし、CDTVのトップ10に冒険でしょでしょが入っていた気がする。深夜アニメも増えてきていたと思う。

もう一つは、ニコニコ動画だ。超流行った。リリース当初はアクセス過多でアカウントのIDごとにアクセス制限がかけられていた。アカウントのIDはインクリメントされているようで、例えばIDが100,000までのユーザは24時間アクセス可能、それ以外は22:00-26:00はログイン不可といった具合だ。 ニコニコ動画はネットとオタクの新たな融合に感じた。MAD動画に始まり、歌ってみたや弾いてみた、踊ってみたなど新たなコンテンツが次々に生まれた。 (MADに関してはフラッシュ時代から存在したような気もするけど)
ニコニコ動画2ちゃんねるを開設したひろゆき氏が新たに立ち上げた動画配信サービスで、大きな特徴はユーザが投稿したコメントが動画上に流れることだった。そんな特徴はちゃんねるの独自のコメント文化とも綺麗に融和し、弾幕職人なる変態が次々と新しいコメント文化を作り、コンテンツをさらに盛り上げていた。初音ミクが誕生したのもこの頃で、投稿したいけど自分の声を使うのはちょっと・・・というシャイだが才ある者たちに新たな武器を与えた。

組曲ニコニコ動画」は今でも歌える気がするし、チーターマンとかいうやったこともないゲームのメインテーマは今でもわかる。そのぐらいずっと入り浸っていた。

時は経ち...

ずいぶん横道に逸れてしまったので以降の思い出は次の機会に譲るとする。

オタクとは厄介なもので、好きなものにはとことんこだわってしまう。
ニコニコ動画でお気に入りの曲をiPodに入れるために、動画から音声を抜き取る術を習得するだけでは飽き足らず、より高音質で聞くための方法を模索し試す。歌詞も表示したくなるし何なら動画をそのまま表示したくなる。そのたびに新しいガジェットを買ったりネットの海を彷徨って情報を集めたり海外のよくわからないツールをフォーラムの情報を見ながら利用してみたりする。

そうこうしてるうちに気づいたらIT系の職に就いていた。

恩返し

面白いものを見て、聞いて、笑って、楽しむ。はじめはそれだけだった。それを得る手段がインターネットだった。
気づいたらインターネットはそれらをさらに昇華して自分の生活に落とし込むためのものにもなったし、なんなら仕事に必要な情報を集めるのもインターネットだ。Linux のコマンドをパッと調べてリファレンスが出てきたり有用なオプションがまとめられたりするのは man を利用するよりはるかに便利だ。

そろそろ受けた恩を返してもいいんじゃないか。そんなことをふと思った。
ライトに返すにはあまりにも大きい恩があるし、私にそんな能力はないかもしれない。
でも私の好きなインターネットは、どこかの名無しが作った何かをどこかの名無しが楽しんだり活用したりする玉石混交なインターネットだ。

私もこれから駄文であれ、Tipsであれ、何かしらのコンテンツをインターネットに提供しようと思う。
それがどこかの名無しに対して何かしらの影響を与えて、さらに発展して面白くなっていくことを願っている。つまらなかったらMADの素材にしてくれてもいい。

15年以上ROMったんだから当時の彼らもさすがに許してくれるよねきっと。

と、ちょっと固くなってしまったけど、もっともっと面白くなってほしいし便利になってほしいのでその一助に私もなれたら、と思っているし、なれなかったとしても枯れ木も山の賑わいというので賑やかしぐらいにはなれたらと思いつつ初投稿を締めくくる。